1999年の日記(2)

10月22日

 主人が、「医者に従うべき・・・」というので、ほんとうは行きたくなかった病院へ行った。けど、あまりに苦しいので、看護婦さんに主治医の先生を呼んで貰った。(主治医は外来には1週間に1度しか出ておられない。)
 今までも、食べ物の味がおいしく感じないこと、夜眠れないこと等は訴えていたが、今日は体中が痛くて苦しいことを話した。やめたいという言葉はやっぱり出せなかった。
 先生は、投与を始めてすぐにウイルスがいなくなったこと、現在もいないこと、だけどこんなに短期間で止めるとウイルスがまた戻ってくることを話され、そんなに苦しいのなら、投与量を減らして様子を見ましょうといわれた。
 1000万単位から600万単位に減らすことになった。

*自分は今まで我慢強い人間だと思っていた。人前で弱音を吐くことはあまりなかった。子どものころから注射で泣いたことはなかった。妊娠中も、つわりが生まれる直前まで続いて大変だったが、3人の子どもを授かった。お産を含め、今までどんな治療でも我慢することができた。
 だから、この治療の副作用について説明されたときも、自分なら我慢できると思っていた。
 なのに、とうとう弱音を吐いてしまった。

10月23日

 数日前からの膀胱炎症状で、今朝も朝の5時から苦しみ、主人が薬を買ってきてくれた。昨日、先生に言い忘れた症状だ。勝手に薬を飲んで大丈夫かなと思ったが、我慢できなかった。だけど、副作用だったら効かないな。
 600万単位になっても相変わらずだが、1000万よりはましかも・・・

10月26日

 自分の日記を読んでみて、全く愚痴っぽいのに驚く。苦痛ばかり書いてある。
 いつものことながら、治らないことへの不安。昨日のような肩こりのぼせは神経から?
 心を明るくせねば落ち込むばかり。

10月27日

 昨日は夕方から熱が出てかなり苦痛で・・600万単位もダメかと思った。今日はやや好転。胃部不快などの症状は相変わらず。
 久々に岩田隆信氏の「医者が末期がん患者になってわかったこと」を読んで、以前読んだときに分からなかった病人の気持ちがよく分かった。副作用の厳しさは特に。
でも、わたしの場合は、治療すれば完全に治る可能性のあるもので、がんとは全く違うのだけど。

11月2日

 昨夜眠れず、せっかく注射のない日なのにいまいち。
 昨日の検査で、ウイルスなし。GOT、GPTとも正常。先生は、当初の予定は6ヶ月だったけど、よく効いているようなので、12月までがんばれと言われた。苦しいようだったら、300万単位に減らすこともできると。しかし、さすがに減らしてとは言わなかった。

11月5日

 午前中は掃除をするも、午後は全身の痛み。10月21日ごろほどではないが、やはりつらい。
 昨夜、また寝つきが悪く、薬(安定剤)の効きにくい状態。
 この頃、ときどき頭の皮膚が痛む。

11月6日

 常に胸のつかえた感じは相変わらずだが、注射の日よりはまし。
 ただ、記憶力に関しては、とてもひどい。アルツハイマーになりかけているのかと思うくらい。昨日は洗顔剤で歯磨きをする始末。今日は、昨日主人から聞いた話をすっかり忘れていた。

11月8日
 
 退院したとき、元気そうねと言ってた母が、今の状態を知り、「元気になってるのかと思った。そんなにひどいのなら、もう1度入院させてもらったらどうか。」と言う。私は入院は嫌だ。
 今日の診察で、今月いっぱい(正確には12/3)で、インターフェロンの投与を終わるとのこと。しかも、300万単位に減らしてもらった。

11月9日

 今日は、間の日(注射のない日)なのに、夕方よりひどい頭痛。全く、体調というのは分からない。

11月12日

 300万単位になっても、それほど体調は良くならず、この不調は本当に副作用かと考える日々。症状もいろいろ変わり、今はのどのはれを最も強く感じる。だいたいは、来るぞ来るぞという感じで、背中の痛みから首筋の痛みへ。そして、全身が痛む。

11月13日

 朝からあまり調子は良くなかったが、閉じこもりっぱなしの私を外に連れ出そうと、家族でH市のE気象館へ。美しい紅葉の中で、お昼ごはんを食べた。気象館には、マイナス20度の部屋など、興味深いものがあったが、私は体調が良くないので、外で待っていた。でも、素晴らしい天気だった。どんなときでも、季節は移り変わり、自然っていいなと思った。
 

11月15日

 体調の悪さは、やはり副作用のせいだと確信する。300万単位になってはじめての2日開きになった日、つまりインターフェロンが最も切れた状態の昨日は、部屋の片づけをする意欲があった。ところが、注射を打った今日の午後はもうダメで、全身の筋肉痛、食欲不振、発熱。
 血液検査の結果は良好で、GOTよりGPTのほうが低くなり正常値に。ウイルスもいない。

11月19日

 少しは楽になる。早く終了の日が来ることを願っている。
 芸能人のY・Mさん、食道ガンだそうだ。

11月22日

 やはり、つらい。手足がだるく、頭痛、のど痛、耳痛。

*300万単位に減らしてからは、注射を打った日はつらいが、間の日は少しは楽・・・と言う状態が続いていた。まずまずの日には、家事もした。さらに、文字を書いたり、本を読むのも以前より楽になった。食欲だけは回復しない。
 また、普段より病気に関して敏感になり、TVや本でもそういうのに注目してしまう。

11月28日

 テレビ朝日の「ガン戦争16」を見て、お互いに支えあうのが家族だなと思った。

12月1日

 注射の日はやはり体がだるいけど、あと1回になり嬉しい。ウイルスも退治できたし。
 今日は、主人の1日ドック。大丈夫かな?

12月3日

 インターフェロン終了。思ったより、感動しなかった。そして午後には手足の筋肉痛で、最後まで苦痛。
 ところで、今日始めて気づいたことがある。薬の量のことだ。
 私は、体重45Kgぐらいの人間だ。私の打ったインターフェロンの投与は、最大1000万単位までと決められており、できるだけ多く投与した方がよいらしい。それで、1000万単位でスタートしたわけだが、人間の体格というのは男女の差はもちろんのこと、千差万別である。
 つまり、私のような体格の人間と、たとえば主人のように私の倍近くもある人間に、同じ1000万単位を投与したとしたら、副作用のきつさに差が出るのは明らかではないか。
 いずれにしろ、とても苦しい思いをしたが、副作用の症状で量も減らしてもらったし、期間的にも3ヶ月で終了ということで、感謝している。しかも、人間は良くできていて、あの苦しさをもう思い出せないくらいだ。あの、眠っている間だけ楽だったという日々。

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再投与検査数値